« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月

2013年2月26日 (火)

雨のなか、海岸清掃体験をして

 

みなさんこんにちは。

 

先週某日、ステージミーティングの第2期メンバーの外出日でした。

向かう先は玄海の海岸。浜辺の清掃活動を行うためです。

(私はその日、参加できなかったのですが><) 

 

雨が降ったりやんだりの不安定な天候だったようですが、

みんな濡れてもいい、完全防備の服装で車に乗り込み、

「行きたくない」「やめとこう!」といった声もあがらず、積極的に参加。

とっても嬉しくて感動しました!!とは、作業療法士の熱血・松尾先生です。

 

 Photo_2

 Photo_3

 

限られた時間ではありましたが、みんなで黙々とゴミを拾いました。

 

ゴミの量は、夏前だった前回よりも少なかったとはいうものの、

「自分は社会にでたときには、ゴミをポイ捨てしないぞ、と思った」

「僕らが拾うことで、次にきた人が気持ちよく過ごせるといいな」

「あいにくの天気だったからこそ、一生忘れられないと思う」

など、それぞれ感じるところがあったようです。

 

清掃活動を振り返ってみて、人のために体を動かすってどういう感覚か、

という問いには、

 

・手助けになっているという満足感が得られた

・今まで人のために何かするということがあまりなかったが、

 強制でも義務でもなくできることで、少し成長できているように思える

・人のためにと思ってしたことで、その日一日楽しく過ごせる

・70代になるが、まだまだやれるな、と自信になった

・誰かにほめられることで、役に立ったと思える

・気持ちよくなれる分、またやろうと思える気がする

・人のためというよりも、自分のために、という感覚も大事

・自分の心も洗われるような気がする

 

と、自分中心の考え方では得られない”満足感” ”達成感” ”自信”など

プラスの感情が得られたようでした。

 

こうしたさまざまな感覚を再認識できるのも、外出活動の醍醐味ですが、

今回、天候不良だったことで、プラスして得られた感覚もありました。

 

社会に出て生活する上では、天候はもちろん、仕事や他人との関係で

面倒事が、小石となって、立ちはだかってくることがあります。

今回、天候が悪くても、誰一人面倒がらず、中止せずに活動を行ったことは、

少なからず、社会復帰への準備としての自信にも、つながったようです。

 

雨のせい、ではなく、雨のおかげ。な、外出活動でした^^

 

 

2013年2月 4日 (月)

記念講演 ~回復者からのメッセージ~

 

みなさんこんにちは。

 

先日の回生断酒友の会32周年記念大会で行われた記念講演は

演者に佐賀県立盲学校教員・牟田征二さんをお迎えし

「回復者からのメッセージ」というタイトルでお話をしていただきました。

大変すばらしい内容でしたので、一部、ご紹介します。

 

"回復者"とあるように、牟田さんはシンナーの乱用がもとで失明しました。

現在は母校である佐賀県立盲学校で教鞭をとるかたわら、

自らの体験を伝えて薬物乱用のこわさ、命の大切さなどをとくために

県内外の学校などで幅広く講演活動をされています。

 

牟田さんがシンナーを吸い始めたのは中学校一年生の頃。

非行に走った仲間とつるむうち、当時流行っていたシンナーに手を出しました。

その陶酔感に、あっという間にシンナーの虜となった牟田さんは

シンナーを手に入れるお金を得るため、仲間と窃盗や恐喝を繰り返すように。

更生のため児童相談所、そして児童自立支援施設、さらには少年院へ入ります。

 

「いろんな人からさまざまに助言をしてもらいましたが、

 当時は、まったく心に届かず、立ち直ることができませんでした」

 

そのうちシンナーをやめる仲間も出ましたが、牟田さんはやめられませんでした。

同年代の若者が、生き生きしているようすが耳に入るたび、

将来への不安もつのり、ストレスからシンナーが吸いたくなりました。

覚めると、また落ち込み、不安が強くなる。そしてまた吸う。

最後のほうは、気持ちよくなるためではなく、

現実から逃げるためにシンナーを吸引しているような状態だったといいます。

 

運命の日は、突然やってきました。

 

朝からシンナーを吸っていたところ、急に体調が悪化し、病院に運ばれました。

治療で意識は戻ったものの、その日から、牟田さんの目は光を失いました。

精密検査の結果、視神経がシンナーによって破壊され、

回復は望めないということが分かったのです。18歳のときでした。

 

歩くことも、食べることも、お風呂も、自分のことが何もできない。

「自分の存在価値が、まったくなくなった」という思いが襲いました。

その思いは、その後もたびたび牟田さんの胸を苦しめます。

 

 薬物を使うと、自分のことも、人のことも大切にしなくなります。

 迷惑をかけ、人を大切にしなければ、人からも大事にされなくなります。

 恥ずかしながら、私が失明したときに、心配して駆けつけてくれた人は

 一人もいません。当然の報いだったと思います。

 

その後、佐賀県立盲学校へ入学。点字の読み書きや杖をもっての歩行訓練。

中途で視力を失った牟田さんにとっては、大変つらいものでした。

目が見えていたころの自分と比較し、周りに当たっては孤立していました。

 

そんな牟田さんが変わり始めたのは、盲学校の理療科に進んでから。

はり・きゅう・あん摩が、最も視覚障害のハンデが影響しない仕事だと知ります。

また実習で患者さんに接するうちに、ときおり患者さんからもらえる

「おかげでよくなった気がするよ」「ありがとう」などの感謝の言葉に

人の役に立てることの喜びを感じました。

  

自分の施術で、患者さんの苦痛を少しでもやわらげることができるなら・・・。

 

人から必要とされないこと、お荷物になっていることが怖かったと語る牟田さん。

「これで、生きていける!」それからは人が変わったように頑張りました。

 

はり・きゅう・あん摩の国家試験に向け頑張っていた矢先、

そのひたむきな姿に、一人の教師から、教員を目指さないかと声をかけられます。

最初は、自分なんかが、と断っていた牟田さんでしたが

かつての自分のように、生きるのがつらいと、ふさぎ込んでしまう生徒がいても、

「おまえの頑張り次第で意義深い仕事ができるんだ」と伝えていくことで、

その生徒を救うことができるかもしれない。

また、その子が将来、患者さんを笑顔にできれば、

間接的にその患者さんの役に立てる、と考え、その道に進む決心をします。

 

それからは、毎日寝る間を惜しんで猛勉強を重ねました。

点字で書かれた教科書で勉強するのですから、人の4,5倍かかります。

ひたすら頑張り、筑波大学理療科教員養成施設に合格。

その後、母校である佐賀県立盲学校の教員になりました。

 

失明したとき、「誰からも心配されなかった」という牟田さんでしたが、

こうして変わり、現在は教育者として若者を育てる仕事につきながら

私生活では、結婚して二人の息子に頼られる父親という立場になりました。

 

だからこそ、知った痛みもあります。

 

 私はこれまで、妻の顔、息子たちの顔、一度も見たことがないです。

 そして、今後も見ることはありません。

 

 自分が親になって分かったことがあります。

 せっかく五体満足に生んでもらったのに、自分で自分の目をつぶした私。

 もし子供が私と同じような過程をとおって視力を失ったらと思うとゾッとする。

 

 その思いを、両親にはさせてしまいました。

  

親の立場として、子の立場として、赤裸々に気持ちを語る牟田さん。

胸が痛むと同時に、薬物依存症のこわさ、切なさ、悲しみが伝わってきました。

当事者だからこそ、回復したいまだからこそ、伝えることのできる重みです。

 

講演の最後に、私たちにあてられたメッセージは「諦めずに生きること」でした。

 

 何度も自分は無価値だと思いましたが、人間、死なない限り、終わりません。

 どこからでも這い上がれます。

 

 私は人から支援を受けて生きてはいるけれど、

 そんな自分でも、少しでも人の役に立てると思えるようになりました。

 

 みなさんも、酒を断つ、薬を断つ目標のために頑張っておられると聞いています。

 そのためには、死なないこと。命が一番大事です。

 

 誘惑、ストレス、いっぱいあると思います。私もあります。いまだにあります。

 何度も失敗するかもしれません。私も何度も失敗してきました。

 でも、こうやって生きています。

 みなさんは、五体満足。頑張って目標を達成したら、

 きっと、私の何倍も人から必要とされ、愛され、存在価値の高い人になれます。

 

 私も頑張っていきます。お互い、頑張っていきたいと思います。

 

 

牟田さんからの等身大のエールに、会場は大きな拍手で応えていました。

牟田さん、貴重なお話、ありがとうございました。

 

 

« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »